西表島の自然を体験するツアーガイドという仕事を通じて、豊かな自然や島での暮らしについてを綴っています。

ガイドの始まり。その1

今年で25年目を迎える弊社です。
少し昔のことをふりかえってみます。

もともと私は、「東京」の生まれで、この西表島には縁も所縁もない人間でした。
その私が、この地を訪れたのは30年ほど前のことです。

その頃は、もちろん(?)決起盛んな20代でした。
大学を卒業するころに覚えたダイビングに魅了されて、頭の中はいつでも海の中の世界が広がっているような人間でした。

高校時代と言えば、山岳部に所属して、授業をさぼっては「山中」をでっかいザックを背負っては、ピークハンティングをやる高校生でした。
そんな男が西表島に降り立ったのは、社会人になって2度目くらいの夏休みでした。

たしか、一年目は慶良間にダイビングに行き「シーサー」と言うショップにお世話になりました。
その時は残念なことに、台風に追われて、満喫するほどのダイビングはできずじまい。
それでも、慶良間の透き通った海の印象は忘れることができないものでした。
それにこの時、隠し味になったのが、那覇のタクシーの運転手に連れて行ってもらったステーキハウスですかね。
貧乏サラリーマンには、最高の沖縄の味でしたねー。

さて、その一年後に計画したのが西表島移住計画でした。
子供の頃からなぜか田舎で暮らしたいと言う当時にしては、おかしなことを言う子供でしたから、周囲は北海道から沖縄。
それも西表島。
またはじまった……くらいの感覚でいたと思います。

そして、待望の西表島にやってきたのです。
当時は、西表島の情報が東京では、まったくない時代でした。

どんな所なのかを知るのには、ダイビング雑誌が一番の有効手段。
インターネットなど無い時代でしたので、本当に情報を収集するのに苦労をした覚えがあります。

東京駅の近くに日本交通公社(JTB)があり、旅行だけに特化した小さな図書館がありました。
そこに1冊の「西表島」と言う薄い小さな本を見つけて。その本をむさぼり読んだことを、ぼっーと覚えています。

さて、その頃の西表島の印象はと言えば、どこを見てもジャングルと言う一言でした。

人口が少ないとか観光客が少ないからとかなのか(?)、看板がないことに驚いていました。とにかく人工物のなさ。

自然の圧倒的な迫力な中で人が暮らしていると言う印象が強いところでした。

(写真はイメージ画像です)

道路は今よりも狭く、両端のジャングルが覆いかぶさるようなイメージ。
トンネルを連想させるほどの勢いで伸びていました。

夏ともなれば、真っ青な空に、紺碧の海、そして島を覆いつくす亜熱帯性の樹木。
何もかもが東京、いや、内地とは違う世界が広がっていました。

つづく >> https://iriomotejima.com/13128/

中神(文)

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